【校長ブログ「入口はどこにでもある」】”6文字の思い”
|学校長ブログ|
夏休みを前に終業式で以下の話をしました。
私のお慕い申し上げる先生のお一人に、O先生という方がいらっしゃる。O先生はカウンセリングの領域で、ご出身の茨城県はもちろんのこと、日本でも世界でも著名な方でいらっしゃった。
以前、O先生からお話を伺う機会があったので、今日はその一部を皆さんに紹介します。
先生は若いころ戦争に駆り出され、敵の軍艦に突っ込む特別攻撃隊、いわゆる特攻隊の飛行機乗りの訓練を、兵庫県は姫路で受けていらっしゃった。その前は九州で。
いつ出撃の命令が下(くだ)るとも知れない日々の中、茨城県水戸市のご実家のお父様が先生に会いに来られることになったそうだ。お父様は背中いっぱいに茨城名産の落花生を背負って、水戸から夜汽車を乗り継ぎ、夜汽車を乗り継ぎ、はるばる姫路までいらっしゃった。上官の許可を得て、限られた時間の面会、その時間がまもなく終わろうとするとき、先生はふと思い出したようにこうおっしゃった。
「父ちゃん,明日おれ休みなんだよ。よかったら泊まっていきなよ。宿をとってあげるから」
「うん?そうか。明日休みか。うん、じゃあそうするよ」
(翌日は祝日だったそうです)
翌朝、先生がお父様に会いに旅館の前までやってくると、お父様が向こうのほうからこちらに向かって歩いてくる。
「あれえ、おかしいなあ。たしかこの宿に泊まったはずなのに。何であんなところ歩いているんだろ」
茶目っ気たっぷりのO先生は物陰にこっそり隠れ、目の前を通り過ぎたお父様の背中を後から驚かせた。
「わっ!」
「わっ!な~んだ!〇〇(先生のお名前)、おまえだったのか」
「父ちゃん、どこへ行ってきたの」
「うむ。郵便局だよ」
「郵便局で何してきたの」
「母ちゃんに電報を打ってきたんだよ」
電報は、当時、緊急の連絡手段でした。
その時、先生はお父様がお母様になぜ電報を打ったのかよくわからなかったそうだ。後からその理由を知り、それを思い出すたびに、心が痛むとおっしゃった。
水戸にいらしたお母様は届いた電報を震える手で受け取り、
「〇〇になんかあったのかしら、もしかしたら…」
そこにはカタカナ6文字があったそうだ。
「ケ・フ・モ・ア・エ・ル」
どういう意味でしょうか。
「ケ・フ・モ・ア・エ・ル」
古文の読み方ができる人は意味がつかめたことでしょう。「ケフ」=「きょう」と発音しますね。きょうも会えるという意味です。
「私は今日もまた、息子の〇〇に会うことができる。今日も生きている〇〇に会える。」
いつ出撃してしまうかもしれぬ息子に今会える喜びを、自分だけでなく、奥様にも共有してもらいたかったのでしょう。
そのことを後から知った先生は、子を思う親の心がいかに深く、大きく、ありがたいものかをしみじみと感じたそうです。
それからまもなくして日本は終戦を迎えます。
以上、カタカナたった6文字に込められた、子どもを思う親の心について話をしました。