【校長ブログ「入口はどこにでもある」】杜甫『登高』〜重陽の節句に寄せて〜
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9月9日の「重陽」の節句にちなんで、漢詩を紹介します。中学の皆さんには難しいかもしれませんが、挑戦してみてください。
長いので、お時間のある時にどうぞ。
中国の唐(618年〜907年)の時代、今から1,400年も前に、さまざまな決まりごとを積み重ねて「新体詩」(新しいスタイルの詩、体=形式、スタイル)が成立し、一大ブームになりました。
文学史では、漢詩の黄金期である唐の時代を初唐、盛唐、中唐、晩唐の4期に分けて、各期の重要な人物及び作品について解説しています。
「李絶杜律」と言われた李白と杜甫は盛唐(710年〜765年)の詩人たちです。
ここで漢詩を鑑賞するための基礎知識をふたつだけ。
まずは形式について。七言律詩とは、一句が七字から成り(七言)、合計で八句から構成されている(律詩)スタイルを言います。
次に、七言詩の場合、一句の意味内容のかたまりは、
7字=4字+3字、
さらに、4字=2字+2字
となります。つまり、
7字=(2字+2字)+3字
を頭に入れて読むと理解しやすくなります。漢詩のきまりはもっとありますが、それは別の機会があればそのときにでも。
今回は、ただ目の前の文字に対して、想像をふくらませて解釈を楽しみたいと思います。正解かどうかは、問題としないことをお許しください。
9月9日、重陽の日を題材にした、杜甫(712年〜770年)の七言律詩、「登高(とうこう)」について味わっていきます。(すでに各句を2+2+3に分けてあります)
登高 杜甫
風急 天高 猿嘯哀
渚清 沙白 鳥飛廻
無辺 落木 蕭蕭下
不尽 長江 滾滾来
万里 悲秋 常作客
百年 多病 獨登台
艱難 苦恨 繁霜鬢
潦倒 新停 濁酒杯
『登高』 小高い丘に登る 杜甫
【第一句】
風 急に 天 高くして 猿嘯(えんしょう) 哀(かな)し
秋風が向こうからこちらへとこの高台をどっと吹き抜けていく。
青々と突き抜ける空はどこまでも高く、
急流の対岸のはるか奥の方からは、
猿の哀しげな声がここまでこだましてきて、郷愁をかき立てる。
【第二句】
渚 清く 沙 白くして 鳥 飛び廻(めぐ)る
ここから見える長江の岸辺は清らかで、川原の砂は白くどこまでも続く。
その上を鳥が静かに舞っているのが見下ろせる。
【第三句】
無辺の落木は 蕭蕭(しょうしょう)として 下(くだ)り
果てしなく広がる木々から枯れ葉は、物寂しい音を立てて舞い散り続け、
【第四句】
不尽の長江は 滾滾(こんこん)として来(きた)る
決して尽きることのない長江の流れは、はるか遠いところから湧き出ては流れ、絶えることがない。
【第五句】
万里 悲秋 常に客(かく)と作(な)り
わがふるさとははるか遠く、今年もまたひとりぼっちで迎えたこの秋も、ふるさとを思えばしみじみと悲しさは増すばかり。
生涯、ずっと旅を続け、落ち着くところもないこの身。
【第六句】
百年 多病 獨り 台に登る
これまであれこれの病いを抱え続け、今日、またこの重陽の日を迎えて、さすらいの身でひとり、この小高い丘に登った。
【第七句】
艱難(かんなん) 苦(はなは)だ 恨む 繁霜の鬢
歩んできた道は苦しくてつらいことばかり、なぜかと考えをめぐらせても恨めしい思いがただただ残るだけ。
そんな日々を重ね続けて、鬢の毛も霜が降りたかと見まがうほど真っ白になってしまった。
【第八句】
潦倒(ろうとう) 新たに停(とど)む 濁酒の杯
老いさらばえてしまったこの身となり、ひっかけるのが楽しみだった濁り酒をやめたばかり。
いかがでしたか。
小高い丘に登り、家族で家内繁栄、無病息災を祈る中国の風習からかけ離れた境遇を、登場人物に設定しています。
杜甫の詩を読むと、気持ちが重々しくなってしまいますが、そこが一番の魅力なのかも知れません。
「三吏三別」のシリーズなど、他人事も自分事として、いつも嘆いているイメージ。授業でのいつもの紹介、杜甫は「トホホ」。
お付き合いいただきありがとうございました。
学園の屋上庭園は久しぶりの青空、日差しは今までよりも少し柔らかく感じられ、執務室の中に長く入り込むようになりました。
さすがに長江は見えませんが、東京ドームは見下ろせます。